ぼくにとってのホームページづくり

ぼくは、なんとなくホームページをつくっていた。

あんまり自分が死んだその先のことなんて、考えないし、考えるのが難しかった。

ある日、友人がこうやって言ったんだ。

「そらさん、ぼくホームページのサーバー料支払うの忘れてて、サイト潰れちゃいました。」

ぼくは、ハッとした。笑

永遠に、勝手に、残り続けると思っていたホームページも、サーバー料を支払わなかっただけでなくなってしまう。

そんな当たり前のことを見て見ぬふりをしていた。

人間は自分に都合のわるいことは、後回しにしたり、無かったことのようにしたがる。

片付けるのがめんどくさくて、押し入れに閉じ込めてしまったものたちのように。

ぼくが作りあげたものも、ぼくがいなくなってしまったら全て無くなってしまうのだろうか。

否、ぼく以外も。

そう思ったら、何百年と語り続かれている名著や、お釈迦さんや、キリストの存在が、単純にすごいことのように思えてきた。

パソコンもインターネットもない時代、もしかしたら、書き残すものも、書くものもないぐらいの時かもしれない、

例えそれがあったとしても、バックアップなんてないし、燃えたらすぐに消し飛んでしまうだろう。

そんな時代から、今に至るまで、それが残っているということは本当にすばらしいことだ。

残り続けたのは、その間に誰かがいたからで、なにより元の教えがすばらしいものだからだろう。

誰にも、なにも感銘を与えないものであれば、それはそれの人間が死んでしまったら、それと共に消えてしまう。

大事なのは見れくれではなく、それに宿る”想い”だと実感した。

アフィリエイトもなにもかも、その人が死んでしまったら、そのホームページは無くなってしまう。誰が書いた記事なんて、誰も知らずに。

本質はなんだ?

本当にそれでいいのだろうか?

その場しのぎの人生なんて、俺には到底我慢できない。

自分の体が朽ちることと、存在がなくなるってことは、別問題なんじゃないだろうか。

それと向き合わずしては、俺は本当の意味で死ねないと思ったのである。

死ぬことは終わりじゃない、もうひとつの自分の始まりなんだと思う。

大それたことは言えない、でもぼくはそんな気持ちで自分の得たものを、自分として残していくべきだと感じた。

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ぼくテツでブログを書いています「ぼく」です。肩書きは見習い哲学者。日々精進中です。よろしくお願いします。